地図子さんのブログを読んで 5 浦安〈後編〉
2/23現在の「今週のお題」は雪なわけですが、この記事はぜんぜん関係ありません。
ちょっとさみしいのでウィンタースポーツに触れることにします。ウィンタースポーツと言ってもスキーだけですが。
筆者はスキーを愛してやまないわけですが、その根底を考えると日常では体験できない世界、というのがあげられます。雪の世界と言うのもそうですが、何より生身でとんでもない速度をだせる、というのが大きいでしょう。
筆者も斜面によっては60km/h位出したことがあると思いますが、競技スキー(アルペン)の滑降(downhill)に至っては最高速度が150km/hを超えることもあります。もちろん選手たちはヘルメットやプロテクタを装備するわけですが、それでもコースを巧みに猛スピードで降りるのは印象が残るのです。
大回転(GS;Giant Slalom)やスーパー大回転になるとある程度速度もだすしカーブもきついしで滑降よりも体力だったり技術が勝負になったりします。まあ強い選手ではどれも上位に食い込みますが。
オートバイは少し変わってきますが自動車ではまず体験できない世界だし、自転車と比べてもスキーの方が速度がでる(スキーは降りるだけな)ので、やはり特別な体験ができるスポーツでしょう。体験したことのない人も映像(速度も時々表示される)を見るだけでもこんな世界があるのか、となれば嬉しいです。
追記:3月某日のスキーのログ(一部)。最高速度94.2km/hは山頂のゲレンデを直滑降(バカですね)したときのもの。正確ではないので参考ですが。
ちなみにこの時バッジテスト2級を受験して不合格でした。トホホ…
以下本題。
浦安の昔と今
地図子さんの2年前の記録の前半は段差道路(浜土堤)が中心?のお話。古い街と新しい町の対比でした。
後半は古い町に踏み込んだ記録…よりも「あくまで地図子」で「鉄子では…」とおっしゃいながら、しっかり撮り鉄をしているなぁというのが印象に残っています(笑)
さて、筆者は前回浦安市街の高度を地理院地図を利用して見ました。
中心の十字の丁度上あたりにある微高地が、地図子さんの記事でも上げられている浦安富士です。さすが国土地理院の地図で、ここを拡大すると三角点の記号があります。調べてみると四等三角点で、確か 15.67m となっていました。
でもそれよりも気になるのは下の方。浦安市の最高地点はディズニーシーの中の山なんですね。50m以上ありました。
地名に目を向けてみると、上の方、境川の北側に「猫実」なる地名があります。ちょっと独特な雰囲気。浦安市のHPは親切で、地名の由来やいつできた土地かが掲載されています。どうやら鎌倉時代の津波の被害(!?)を受けた集落の人々が堤防を築き、そこに植えた松の根を波が越さないように「根越さね」と願ったことが元である、とされているようです。
鎌倉時代くらいだと現在とほぼ変わらない等高線の広がり方で三浦・房総両半島があり、東京湾が形成されているはずですが、当時津波の被害があったということなので…どのくらいの高さになったんでしょうか。浦賀水道が狭いといえど、津波の危険があるということですね。多少減衰されるとしても、震央の位置や震源によっては被害が出ると思うと、沿岸部の低地(0m地帯)が心配になるのは自分だけでしょうか…
地名の由来を調べると実は危険地帯だった、などと言うのは結構ありますが、とかく縁起が悪いと言って漢字や地名そのものを変えたり(埋め立てや干拓などの造成の差異に多い)、市町村合併などで名前が全く別のものになってしまって由来がわからなくなってしまうことも多いです。昔の人の警告のはずなのですが、それが後世に残らず大災害になった例もあるし、これから起こりうるものもあるでしょう。もったいない気もします。
丁度最近読み終えた本。2013年第一刷なので、残念ながら熊本や北海道(地震)、広島など西日本(豪雨)のことが挙げられていないので、そこはより新しい本でないと言及されていませんが、2011年3月の東北の地震に関連した災害、特に津波と液状化にはかなり触れられています。浦安は特にマスコミの槍玉になっていたような感じがありましたが、別に浦安に限った話ではなく、東京の江東区新木場や千葉県我孫子市など、局地的な液状化はいくらでも見つかります。
この本の第4章など、危険な地名に使われた音(発音)を列挙してそれぞれについて何を表すかを解説していて、よくまとめたものだと感心します。また、いわゆるイメージ地名(○○ヶ丘とか、浦安市で言うと日の出とか)に対する疑義はかなり主張されています。土地を調べるのによく役立ちそうです。
ちなみに、筆者は丁度地図子さんのスタンプラリーの記事を読んだ時期と重なっていて、葛飾区高砂のことが両方に出ていて感動しました!スタンプラリー後編の最後の駅です。
中川の蛇行が大工道具の曲金(まがりかね)にたとえられているのですね。曲金は、指金(さしがね)・曲尺(かねじゃく)ともいい、いわゆる直角を出す定規のことです(「さしがね」でGoogle画像検索してみてください)。
浦安から西に行ってしまったので、戻りましょう。
今回は液状化の話をしたいのです。
「液状化」という言葉はあまり古くなく、比較的最近使われるようになりましたが、現象自体は昔からあって、かつては「流砂現象」などと呼ばれていました。1964年の新潟地震で鉄筋コンクリートの県営住宅がゆっくり倒れて話題になったりしたようですが、もっとその前からもありますし、地震の際に低湿地で砂が噴くのもありえる話です。問題はその地盤に人が住んでいるか(住居があるか)で、不等沈下による家の傾きや、側方流動による基礎杭などの破壊により住宅やインフラが使えなくなるのが大きな被害となります。とりわけ側方流動は規模によっては致命的な被害になる事があるので、建築の際には必ずシミュレーションされて慎重な設計がされます(大規模建築など)。
また、地盤中の水が抜けて上に出るので、水浸しになるのも被害の一つでしょう。まるで浸水したようになります。写真を見るとインパクトが大きいです。
その液状化の原因は、軟弱地盤にある事は比較的認知されつつあるはずです。いわゆる沖積低地や、埋め立て地、干拓地など陸地(地盤)ができてから年月の浅いものは、土壌(地層)が固結しておらず、地震の振動で地層中の粒子間に働いているせん断応力が無くなり、液体に似た状態になるのです。逆に、長い年月が経っていて続成作用により固結した地層であれば、地層の粒子間の結合が強く、地震動ではびくともしないのです。関東平野に限れば、下末吉面などが硬い地盤として挙げられますが丘陵地帯や、外側の関東山地などはさらに古く堅固な岩盤になります。まとめると、古い地層ほど硬く丈夫で、陸地になって日が浅いほど緩く液状化が起こりやすいといえます。(ここの文章は東京の自然史(貝塚・1979→2011)を絡めていつか記事を書きたいです。)
丁度現在の舞浜に当たるあたりは旧江戸川が形成した何ともきれいな三角州が見られますが、それを南東方向に広げた土地が舞浜なんですね。現行の地名はいわゆる「イメージ地名」の代表格で、まるで明るい土地のようですが、地盤としては決して良くないでしょう。内陸側より多少標高が高くされているのが救いでしょうか。
ただ、昭和年間の地下水のくみ上げによる地盤沈下を考慮すると、元々陸地だった地域はかつては今よりも少なくとも1~2m位は高かったのではないか、と思っています。江東区~江戸川区のあたりは浦安よりもさらに大きく沈下しています(沖積層の厚みの違い)。
ちなみに沖積低地は地盤が緩く、人が住みかにするには向きませんが、保水性の良さから水稲栽培(田んぼ)には非常に相性がよく、昔の人は必ずと言っていいほど川沿いの自然堤防上に住み、後背湿地を田んぼにしていました。この場合田んぼが遊水地にもなるので、江戸時代には下流の下町における洪水の影響を抑えるために意図的に稲作地帯を整備した経緯もあります。
浦安もそうですが、細長い区割を見ると農地に見えるのは筆者だけではないはずです。特に近代化農業においては、細長い方が作業効率がいいのです。
いたずらに区割を大きくすると一反全体が失敗したときの損失が大きいので、効率化と保険を天秤に掛けると細長い方がいいことがわかります。
東京都内でも川沿いの低地ではこの区割が残っている所が結構あって、昔の空中写真では農地になっています。場所によっては用水路跡が残っていたりします。
こうして見ると、浦安は方や農地、方や漁場と東京(江戸)の食糧庫のような役目を担っている地域の一つだったと推測できます。実際に川(人工河川)で魚介を運搬していたようですし…
今回の記事は長さの記録を更新していますが、もし最後まで読み切った方がいらしたら、時間を割いていただいたことに感謝いたします。この記事(というかこのブログ)は書籍などから得た情報・知識から推測をしている内容なので、異議ありという方、ぜひコメントをください。筆者は理系、というか理屈人間なので、ガンガン議論をすることが大好きです。内容次第ではコメントを踏まえて記事を新たに立てるかもしれません。