自然 と 乗り物

多趣味(?)かもしれない主の日々の気付きや以前の記憶が記事になります。全部雑談。

日本の峠と鉄道

 数本の記事を書いて1年半くらい放置されたブログ。私がやる気が起きなかったり環境がなくなったり(PCを買い替えている)、統失症一歩手前と診断されたりいろいろあったのですが、今回たまたま目にしたヒヤパさん(id: hiyapa)の記事が!hiyapa.hatenablog.com

非常に楽しい記事です(鉄道オタク的にも) 。写真が楽しい。

これは記事を書かないとと重い腰を上げました。まず碓氷峠(うすい~)と信越本線について。

 私のブログのアイコンはどこかから適当に引っ張った(忘れた)EF63形電気機関車の動輪(車輪とみて結構)の画像で...EF63といえば知る人ぞ知る「峠のシェルパ」と言われた横軽の専用機。

 もう一つエピソードを上げるとすれば、私は小さいとき(それこそ5歳とか)から鉄道マニアで、小学生時代初めて買ってもらった模型がEF63。このいでたちも目的も特殊なところに惹かれたのだろうか...

 何が特殊かといえば、信越本線の碓氷の険、横川~軽井沢(横軽・碓氷線とも)を通る列車全て(貨物・特急・普通列車)にくっついて上るときは後ろから押し上げ、下るときは前で踏ん張るという機関車だったのです。特殊装備それぞれについては割愛。

 

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緑が信越本線(現在は一部が第三セクターに分離されている)、赤が上越線。新潟に向かっては信越本線が大きく迂回している。国土地理院地図に加工

 信越本線はもともと東京から新潟に向かう路線の一部でした(今はその役から外されている)。ルートも上越新幹線、あるいは並行する上越線(上州‐越州上越)ともかなり違う。それは、信越本線を敷いた当時上越国境(群馬‐新潟)を鉄道で超える技術がなかったから。今でこそ信越本線が3分割されていますが、昔は高崎を出ると軽井沢、長野を抜けて直江津日本海に出て、長岡・新潟に向かったのです。高崎から新潟で300㎞を超える大回りでありながら、なお碓氷峠という険(標高差約550m、勾配15分の1≒66.7‰)を乗り越えなければならなかった。これが日本の地形の険しさを表しているようです。

ちなみに現在上越線は長大トンネルとループトンネルで谷川岳の下を抜けています。

 

 さて、碓氷峠を語るうえで欠かせないのがその方式の変遷。

最初の明治期の敷設ではアプト式(響きがかわいいらしい?)、その後粘着式(一般的な鉄道の方式、EF63の活躍)、現在は新幹線でそれまでとは別の迂回ルートで峠を越えています。

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アプト式の概念?図。アナログ式画像投稿(お見苦しくて...)ラックとピニオンを利用する。噛み合わせれば滑らないだろう、という方式。

アプト式(かつてはアブト式と言ったりしていた、ドイツ語のabtなのでアプトのほうが正しい)で開通したのが1893年、その後の粘着式の新線が1963年開通。この転換で横川‐軽井沢間40分が登坂17分、降坂24分になったので結構画期的です。まあ最初は馬車鉄道だったんですが。(ヒヤパさんが歩いたのは1963年の新線のほうかな?旧線も改修して利用されてるからわからない、調べればわかるがめんど以下略)

 最初期は蒸気機関車による運転で、トンネル内の煤煙で乗務員の窒息や吐血が問題になり、国内ではかなり早い時期に電化された区間でもあります(幹線では最初)。丸山変電所・矢ヶ崎変電所はそのための構造物。ちなみにその後に開通した上越線は長大トンネルがあるために最初から電化開業しています。

 

 廃墟(遺構)にまつわる話をすると、1963年の運転方式転換で丸山変電所・熊ノ平駅・眼鏡橋などは役目を終えていて、その廃止当時から遺構になっています。だから廃墟?になった日は結構前です。

 もともと単線であり、本数増のために交換設備としてアプト時代に設けられたのが丸山・熊ノ平・矢ヶ崎信号場で、63年の新線開通後は複線化でその役目を終えました(交換設備で本数が増やせる理論は割愛)

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アナログ式画像再び...碓氷線の簡略図。丸山・矢ヶ崎各信号場付近に変電所があった

 あとは横川駅前のグレーチング代わり(側溝?の蓋)に使われているアプトのラックレール。これもアプト廃止からあるそうで、横軽廃止前にすでにある遺構?というか名残です。今もあるはず。

 そしてヒヤパさんが横川駅に着いた時に見ていた博物館は、「碓氷峠鉄道文化むら」で、横軽廃止前の横川機関区(EF63の基地)をだいたい流用した施設です。だから一部の建物は横軽廃止前からのもの(遺構)。廃墟と遺構の違いはどう表現したらよいのか??手つかずになって廃れたのが廃墟?文化むらは7年前に行った時も屋外展示の車両は結構風化していて(仕方ないですが)、古い感じの雰囲気が出てきていた気がします。今はどうなんでしょう。定期的に塗装し直したりするのかな??

 

 さて、タイトルの峠と鉄道について。峠の詳しい説明についてはWikipediaなんかにお任せしますが、だいたいは山を越える道でよろしい。

日本はそれこそ山だらけの土地なのですが、人やモノの移動のために峠が各地にあります。その中でも重要な交通路では鉄道が敷かれたりしますが、トンネルで通るものもあれば実際に峠を登るところもあります。場所によっては補助機関車が用意され、場所によっては技術の発達でそれが不要になったところもあります。碓氷峠もその一つといえましょう。

峠と鉄道の関係表。独断と偏見で選定

路線 区間 機関区 現在
碓氷峠 信越本線 横川‐軽井沢 横川機関区 新幹線に代替
(瀬野八) 山陽本線 瀬野‐八本松 瀬野機関区→広島車両所 現役
板谷峠 奥羽本線 福島‐米沢 福島機関区 新幹線に代替
(上越国境) 上越線 水上‐越後中里 水上機関区→長岡機関区 現役(補機廃止)
常紋峠 石北本線 生田原‐金華 不詳(北見機関区?→廃止) 現役

山陽本線の瀬野八と石北本線の常紋峠は今でも貨物列車に後部補機がつく特異点。瀬野八は旅客列車も車両によっては走行できないものがあったり...まもなく新車になればそれもなくなるでしょう。

 土木方面でも、長いトンネルが掘れるようになって大幅に所要時間が短縮される例もあります。

これまた独断と偏見でトンネルを選定

トンネル 用途 区間 長さ(おおよそ) 代替路
青函トンネル 鉄道 青森‐函館 53.9㎞ 青函航路
関越トンネル 高速道路 水上‐越後湯沢 11㎞ 三国街道(国道17号)
塩嶺トンネル 鉄道 岡谷‐塩尻 6㎞ 辰野支線
安房トンネル 道路 松本‐高山 4.4㎞ 国道158号旧道

 

 何が言いたいかというと、技術の発達のおかげでもともとあった制約やデメリットが見えにくくなったり無くなったりするということです。一般的な車両や機械でできる範囲が広がって、様々なことに対応できる。鉄道と峠越えはそれをよく表しているものの一つと言えるでしょう。こういうことが機械屋(工学系の人々)にとってやりがいのあるところなんでしょうね。

 

 

 長文で文才がないので読みにくい。文才がある人は素敵だと思います。

 

追記:2021年3月で秋田臨海鉄道廃線予定。出来たてほやほやの廃線工場地帯なのでどこまで立ち入れるのかわかりませんが。あと貨物鉄道という特殊な路線です。