自然 と 乗り物

多趣味(?)かもしれない主の日々の気付きや以前の記憶が記事になります。全部雑談。

武蔵野台地の地下水

 この頃、東京外環自動車道のトンネル工事に関連して地上での陥没事故がニュースになっているので、それに関連した話を書いておく。

 

 筆者がニュースを見たとき、「宙水」を思い出し、それを目にした「東京の自然史」(貝塚爽平,1979)を少し見返したのでそれに関連する話になります。

 

 地下水(帯水層)は、基本的に不透水層(一般に粘土層)の上にたまった水が地下水として存在するものですが、その中で直下の不透水層が盛り上がっていたりすると宙水や地下水堆という形で存在し、場所によっては地下水瀑布線(かっこいい!)ができたりします。

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宙水の概念図(?)濃いグレーの不透水層に支えられた孤立した地下水。

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地下水堆。盛り上がった不透水層に支えられて地下水面も盛り上がっている

 詳しい説明は省略しますが、武蔵野台地上にはところどころにこんな感じの地下水面が存在しているようです。これらの地下水面は浅く、昔の未発達の技術でも簡単に井戸水が手に入るのでこれらの周りに発展した集落もあるようです。

 

 今回の外環道のトンネル工事で、大深度での工事によって本水(本体の地下水)が切羽(トンネル工事の先端部)から抜けたとすれば、その上の帯水層の水分が抜けて地層が収縮するといったこともあり得るでしょう。

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トンネル工事で本水が下に抜けて連鎖的に浅い地下水面に影響が出るかも??

 大深度の工事だとしてもどこでどのように地上に影響が出るかわかりにくいのが地下水による影響でしょう。いずれにしても理屈がわからないと不安ですね。

日本の峠と鉄道

 数本の記事を書いて1年半くらい放置されたブログ。私がやる気が起きなかったり環境がなくなったり(PCを買い替えている)、統失症一歩手前と診断されたりいろいろあったのですが、今回たまたま目にしたヒヤパさん(id: hiyapa)の記事が!hiyapa.hatenablog.com

非常に楽しい記事です(鉄道オタク的にも) 。写真が楽しい。

これは記事を書かないとと重い腰を上げました。まず碓氷峠(うすい~)と信越本線について。

 私のブログのアイコンはどこかから適当に引っ張った(忘れた)EF63形電気機関車の動輪(車輪とみて結構)の画像で...EF63といえば知る人ぞ知る「峠のシェルパ」と言われた横軽の専用機。

 もう一つエピソードを上げるとすれば、私は小さいとき(それこそ5歳とか)から鉄道マニアで、小学生時代初めて買ってもらった模型がEF63。このいでたちも目的も特殊なところに惹かれたのだろうか...

 何が特殊かといえば、信越本線の碓氷の険、横川~軽井沢(横軽・碓氷線とも)を通る列車全て(貨物・特急・普通列車)にくっついて上るときは後ろから押し上げ、下るときは前で踏ん張るという機関車だったのです。特殊装備それぞれについては割愛。

 

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緑が信越本線(現在は一部が第三セクターに分離されている)、赤が上越線。新潟に向かっては信越本線が大きく迂回している。国土地理院地図に加工

 信越本線はもともと東京から新潟に向かう路線の一部でした(今はその役から外されている)。ルートも上越新幹線、あるいは並行する上越線(上州‐越州上越)ともかなり違う。それは、信越本線を敷いた当時上越国境(群馬‐新潟)を鉄道で超える技術がなかったから。今でこそ信越本線が3分割されていますが、昔は高崎を出ると軽井沢、長野を抜けて直江津日本海に出て、長岡・新潟に向かったのです。高崎から新潟で300㎞を超える大回りでありながら、なお碓氷峠という険(標高差約550m、勾配15分の1≒66.7‰)を乗り越えなければならなかった。これが日本の地形の険しさを表しているようです。

ちなみに現在上越線は長大トンネルとループトンネルで谷川岳の下を抜けています。

 

 さて、碓氷峠を語るうえで欠かせないのがその方式の変遷。

最初の明治期の敷設ではアプト式(響きがかわいいらしい?)、その後粘着式(一般的な鉄道の方式、EF63の活躍)、現在は新幹線でそれまでとは別の迂回ルートで峠を越えています。

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アプト式の概念?図。アナログ式画像投稿(お見苦しくて...)ラックとピニオンを利用する。噛み合わせれば滑らないだろう、という方式。

アプト式(かつてはアブト式と言ったりしていた、ドイツ語のabtなのでアプトのほうが正しい)で開通したのが1893年、その後の粘着式の新線が1963年開通。この転換で横川‐軽井沢間40分が登坂17分、降坂24分になったので結構画期的です。まあ最初は馬車鉄道だったんですが。(ヒヤパさんが歩いたのは1963年の新線のほうかな?旧線も改修して利用されてるからわからない、調べればわかるがめんど以下略)

 最初期は蒸気機関車による運転で、トンネル内の煤煙で乗務員の窒息や吐血が問題になり、国内ではかなり早い時期に電化された区間でもあります(幹線では最初)。丸山変電所・矢ヶ崎変電所はそのための構造物。ちなみにその後に開通した上越線は長大トンネルがあるために最初から電化開業しています。

 

 廃墟(遺構)にまつわる話をすると、1963年の運転方式転換で丸山変電所・熊ノ平駅・眼鏡橋などは役目を終えていて、その廃止当時から遺構になっています。だから廃墟?になった日は結構前です。

 もともと単線であり、本数増のために交換設備としてアプト時代に設けられたのが丸山・熊ノ平・矢ヶ崎信号場で、63年の新線開通後は複線化でその役目を終えました(交換設備で本数が増やせる理論は割愛)

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アナログ式画像再び...碓氷線の簡略図。丸山・矢ヶ崎各信号場付近に変電所があった

 あとは横川駅前のグレーチング代わり(側溝?の蓋)に使われているアプトのラックレール。これもアプト廃止からあるそうで、横軽廃止前にすでにある遺構?というか名残です。今もあるはず。

 そしてヒヤパさんが横川駅に着いた時に見ていた博物館は、「碓氷峠鉄道文化むら」で、横軽廃止前の横川機関区(EF63の基地)をだいたい流用した施設です。だから一部の建物は横軽廃止前からのもの(遺構)。廃墟と遺構の違いはどう表現したらよいのか??手つかずになって廃れたのが廃墟?文化むらは7年前に行った時も屋外展示の車両は結構風化していて(仕方ないですが)、古い感じの雰囲気が出てきていた気がします。今はどうなんでしょう。定期的に塗装し直したりするのかな??

 

 さて、タイトルの峠と鉄道について。峠の詳しい説明についてはWikipediaなんかにお任せしますが、だいたいは山を越える道でよろしい。

日本はそれこそ山だらけの土地なのですが、人やモノの移動のために峠が各地にあります。その中でも重要な交通路では鉄道が敷かれたりしますが、トンネルで通るものもあれば実際に峠を登るところもあります。場所によっては補助機関車が用意され、場所によっては技術の発達でそれが不要になったところもあります。碓氷峠もその一つといえましょう。

峠と鉄道の関係表。独断と偏見で選定

路線 区間 機関区 現在
碓氷峠 信越本線 横川‐軽井沢 横川機関区 新幹線に代替
(瀬野八) 山陽本線 瀬野‐八本松 瀬野機関区→広島車両所 現役
板谷峠 奥羽本線 福島‐米沢 福島機関区 新幹線に代替
(上越国境) 上越線 水上‐越後中里 水上機関区→長岡機関区 現役(補機廃止)
常紋峠 石北本線 生田原‐金華 不詳(北見機関区?→廃止) 現役

山陽本線の瀬野八と石北本線の常紋峠は今でも貨物列車に後部補機がつく特異点。瀬野八は旅客列車も車両によっては走行できないものがあったり...まもなく新車になればそれもなくなるでしょう。

 土木方面でも、長いトンネルが掘れるようになって大幅に所要時間が短縮される例もあります。

これまた独断と偏見でトンネルを選定

トンネル 用途 区間 長さ(おおよそ) 代替路
青函トンネル 鉄道 青森‐函館 53.9㎞ 青函航路
関越トンネル 高速道路 水上‐越後湯沢 11㎞ 三国街道(国道17号)
塩嶺トンネル 鉄道 岡谷‐塩尻 6㎞ 辰野支線
安房トンネル 道路 松本‐高山 4.4㎞ 国道158号旧道

 

 何が言いたいかというと、技術の発達のおかげでもともとあった制約やデメリットが見えにくくなったり無くなったりするということです。一般的な車両や機械でできる範囲が広がって、様々なことに対応できる。鉄道と峠越えはそれをよく表しているものの一つと言えるでしょう。こういうことが機械屋(工学系の人々)にとってやりがいのあるところなんでしょうね。

 

 

 長文で文才がないので読みにくい。文才がある人は素敵だと思います。

 

追記:2021年3月で秋田臨海鉄道廃線予定。出来たてほやほやの廃線工場地帯なのでどこまで立ち入れるのかわかりませんが。あと貨物鉄道という特殊な路線です。

GWのこと

 完全に気ままに書いています。我らが平成時代が終わり、令和になりました。

ところでこの「令」の字。書くときにいつも最後の画は縦棒?点?と迷うので調べてみました。

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左上:HGPゴシックE 右上:MS明朝 左下:HG正楷書体-PRO 右下:HGS教科書体

 結論はというと、どちらでもいいようです。ただ、筆者の解釈としては元々は点だったのでは、と思います。縦棒になったのは崩し字への変化の途上で発生した動きのように思えるのです(発表時の字の書かれ方のせいかも)。ちなみに上の画像はMS Wordで書いたものをPrtScでキャプチャしたもので、右下の教科書体を見るに小学校では点で教えるのでは、と思っています。

 

以下本題。

GWということでストイックな旅をされていた方が近況報告をされていたので、自分もするかと記事を書くことにしました(ようやく)。

まずはこちら。

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山あいの崖にあるのでこの位置からとると入らない。レンズを変えなければ…

長野県長野市の山間部、素桜神社の神代桜。推定樹齢約1200年のエドヒガン。葉が出ていますが、ソメイヨシノよりはもう少し持つようでまだまだ咲いておりました。ちなみにここは標高700mで長野駅善光寺のあたりからかなり登ります。ものすごい山間地で景色もなかなかよくてお気に入りの場所です。奥深い里山という感じでしょうか。

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今回ではなく7年くらい前にバスで行って歩いた時の写真

裾花川(信濃川水系)のあたりだとさらに深い谷になって、場所によっては現在進行形で崩壊している所もあります。フォッサマグナ地帯に当たるので地形は素晴らしい景色を作っています。

筆者は信州贔屓なので、長野県の話はいっぱい書くと思います(突然の予告)。

 

今回は道中で国道19号沿いの名勝・山清路にも立ち寄りましたが、生坂村の元気が無くなっているのか朽ちるに任せる、と言ったところがあり、hiyapaさんが好きそうなものもありました(写真はスマホ…)。

hiyapa.hatenablog.com

あとは安曇野の拾ヶ堰とか。

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北アルプス常念岳が背景。水は写真手前から奥に流れる

 

 

次は長野から離れて東京の等々力渓谷。個人的には23区内で最も自然を肌で感じられると思います。

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森の写真が難しいです。明るくしたいけど空は白飛びさせたくない…

降雨時はどうなるんでしょう。矢沢川はどのくらい増水するんでしょうか?

 

ここは、貝塚先生の本で出てくるところで、第三紀層(新生代第三紀おそらく鮮新世)の露頭があるのでその分野では有名な場所です(特に23区内では露頭が減っている)。渋谷粘土層(東京層と言われていた?)の直下に高津互層とあるのがそれで、ゴルフ橋(等々力駅から最寄りの入口の地点)の付近のみで見られます。名前の通り川崎市高津区が模式地だと思うので、その辺りから連続した地層が多摩川や矢沢川に削られて現在の形になったと思われます。

インターネット上で神田川面影橋付近で河床に第三紀層が出ているというような記事を見たのですが、このあたりの地層の傾斜や面影橋付近の武蔵野面としての層序を調べるとどうも納得できないのです。 この続きの議論は次回以降に。

なんとか神田川につなげた…!

参考文献

 地図子さんの浦安の記事の次は、神田川の記事なので書きたいことが結構あってすぐに内容に入りたいのですが、そのまえに神田川だけではなく武蔵野台地全般について言える総論を書かなければなりません(書きたいだけ)。

chizuchizuko.hatenablog.com

それに伴って、参考文献をご紹介。

bookclub.kodansha.co.jp

bookclub.kodansha.co.jp

どちらも貝塚爽平先生の著書ですが、前者の方が古く、用語なども注釈が入っていたりします(原書は1979年)。貝塚先生自身が第四紀学(地質学)の人なので、内容は若干難しいというか理屈っぽいかもしれません。理系向けかな…?
後者はオムニバス形式のような内容ですが、前者を補っている部分もあります。図などはより分かりやすくなっています。講談社のページでは姉妹編(兄弟編でもいいじゃないか)と紹介されています。後者は硫黄島の話もありますが。

ちなみにタモリさんは東京の自然史を東京の地形観察のバイブル?参考書にされているようですね。第四紀の視点なので、比較的最近できた表層の地形を見るには最もいい参考書になるでしょう。

きっとこのブログでも度々出てくる「第四紀」という言葉は、いわゆる地質時代の区分のひとつで、一番大きな時代区分の最新の新生代のうち、より新しい時代を指します(古い方は第三紀と言った)。第四紀をさらに細かく分けると更新世完新世と分けられます(昔は洪積世と中積世といった、最新世と現世ともいう)。絶対年代で表わすと、完新世はおよそ1万年前から現在まで、更新世はおよそ100万年前から完新世前までとなります。いまでも武蔵野の古い台地を指して「洪積台地」と呼ぶのは、この名残で、更新世に形成された地層が(関東ローム層におおわれているが)残っていることが由来です。

日本には数多くの学会がありますが、日本第四紀学会なるものもあって、貝塚先生はその会長を務めたことがあるくらいで、第四紀研究のトップの一人だったはずです。その意味でいうとこの本は東京の微地形を見るのに最適ですが、より大きな地殻変動などを読み解こうとすると第三紀やさらに古い中生代の研究が必要になります。富士山の位置にナゼ?と疑問を唱えるとおそらく第四紀にとどまることはできず、プレートの動きなど大昔からの地球の動きを見ることになるでしょう。実際に東京や関東平野の内側から外に出ると、さらに古い地層がバンバン出てくるので、より複雑な考察がされます(変性帯とか付加体とか)。

 

文字ばかりで冗長になってしまう問題。本の紹介で写真なんかないからしょうがないよね…??

地図子さんのブログを読んで 5 浦安〈後編〉

2/23現在の「今週のお題」は雪なわけですが、この記事はぜんぜん関係ありません。

ちょっとさみしいのでウィンタースポーツに触れることにします。ウィンタースポーツと言ってもスキーだけですが。

筆者はスキーを愛してやまないわけですが、その根底を考えると日常では体験できない世界、というのがあげられます。雪の世界と言うのもそうですが、何より生身でとんでもない速度をだせる、というのが大きいでしょう。

筆者も斜面によっては60km/h位出したことがあると思いますが、競技スキー(アルペン)の滑降(downhill)に至っては最高速度が150km/hを超えることもあります。もちろん選手たちはヘルメットやプロテクタを装備するわけですが、それでもコースを巧みに猛スピードで降りるのは印象が残るのです。

www.youtube.com

大回転(GS;Giant Slalom)やスーパー大回転になるとある程度速度もだすしカーブもきついしで滑降よりも体力だったり技術が勝負になったりします。まあ強い選手ではどれも上位に食い込みますが。

オートバイは少し変わってきますが自動車ではまず体験できない世界だし、自転車と比べてもスキーの方が速度がでる(スキーは降りるだけな)ので、やはり特別な体験ができるスポーツでしょう。体験したことのない人も映像(速度も時々表示される)を見るだけでもこんな世界があるのか、となれば嬉しいです。

 追記:3月某日のスキーのログ(一部)。最高速度94.2km/hは山頂のゲレンデを直滑降(バカですね)したときのもの。正確ではないので参考ですが。

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ログ

ちなみにこの時バッジテスト2級を受験して不合格でした。トホホ…

以下本題。

浦安の昔と今

chizuchizuko.hatenablog.com

地図子さんの2年前の記録の前半は段差道路(浜土堤)が中心?のお話。古い街と新しい町の対比でした。

 

chizuchizuko.hatenablog.com

後半は古い町に踏み込んだ記録…よりも「あくまで地図子」で「鉄子では…」とおっしゃいながら、しっかり撮り鉄をしているなぁというのが印象に残っています(笑)

 

さて、筆者は前回浦安市街の高度を地理院地図を利用して見ました。

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前回よりも広域の地図

中心の十字の丁度上あたりにある微高地が、地図子さんの記事でも上げられている浦安富士です。さすが国土地理院の地図で、ここを拡大すると三角点の記号があります。調べてみると四等三角点で、確か 15.67m となっていました。 

でもそれよりも気になるのは下の方。浦安市の最高地点はディズニーシーの中の山なんですね。50m以上ありました。

地名に目を向けてみると、上の方、境川の北側に「猫実」なる地名があります。ちょっと独特な雰囲気。浦安市のHPは親切で、地名の由来やいつできた土地かが掲載されています。どうやら鎌倉時代津波の被害(!?)を受けた集落の人々が堤防を築き、そこに植えた松の根を波が越さないように「根越さね」と願ったことが元である、とされているようです。

www.city.urayasu.lg.jp

鎌倉時代くらいだと現在とほぼ変わらない等高線の広がり方で三浦・房総両半島があり、東京湾が形成されているはずですが、当時津波の被害があったということなので…どのくらいの高さになったんでしょうか。浦賀水道が狭いといえど、津波の危険があるということですね。多少減衰されるとしても、震央の位置や震源によっては被害が出ると思うと、沿岸部の低地(0m地帯)が心配になるのは自分だけでしょうか…

地名の由来を調べると実は危険地帯だった、などと言うのは結構ありますが、とかく縁起が悪いと言って漢字や地名そのものを変えたり(埋め立てや干拓などの造成の差異に多い)、市町村合併などで名前が全く別のものになってしまって由来がわからなくなってしまうことも多いです。昔の人の警告のはずなのですが、それが後世に残らず大災害になった例もあるし、これから起こりうるものもあるでしょう。もったいない気もします。

gihyo.jp

丁度最近読み終えた本。2013年第一刷なので、残念ながら熊本や北海道(地震)、広島など西日本(豪雨)のことが挙げられていないので、そこはより新しい本でないと言及されていませんが、2011年3月の東北の地震に関連した災害、特に津波液状化にはかなり触れられています。浦安は特にマスコミの槍玉になっていたような感じがありましたが、別に浦安に限った話ではなく、東京の江東区新木場や千葉県我孫子市など、局地的な液状化はいくらでも見つかります。

この本の第4章など、危険な地名に使われた音(発音)を列挙してそれぞれについて何を表すかを解説していて、よくまとめたものだと感心します。また、いわゆるイメージ地名(○○ヶ丘とか、浦安市で言うと日の出とか)に対する疑義はかなり主張されています。土地を調べるのによく役立ちそうです。

ちなみに、筆者は丁度地図子さんのスタンプラリーの記事を読んだ時期と重なっていて、葛飾高砂のことが両方に出ていて感動しました!スタンプラリー後編の最後の駅です。

chizuchizuko.hatenablog.com

 

中川の蛇行が大工道具の曲金(まがりかね)にたとえられているのですね。曲金は、指金(さしがね)・曲尺(かねじゃく)ともいい、いわゆる直角を出す定規のことです(「さしがね」でGoogle画像検索してみてください)。

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>1936年の空中写真。黄色の丸のあたりが京成高砂駅。西側で中川が確かに直角に曲がっている

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(参考)現在の地図。新中川の開鑿の目的がわかります。

[出典:国土地理院地理院地図]

 

浦安から西に行ってしまったので、戻りましょう。

今回は液状化の話をしたいのです。
液状化」という言葉はあまり古くなく、比較的最近使われるようになりましたが、現象自体は昔からあって、かつては「流砂現象」などと呼ばれていました。1964年の新潟地震で鉄筋コンクリートの県営住宅がゆっくり倒れて話題になったりしたようですが、もっとその前からもありますし、地震の際に低湿地で砂が噴くのもありえる話です。問題はその地盤に人が住んでいるか(住居があるか)で、不等沈下による家の傾きや、側方流動による基礎杭などの破壊により住宅やインフラが使えなくなるのが大きな被害となります。とりわけ側方流動は規模によっては致命的な被害になる事があるので、建築の際には必ずシミュレーションされて慎重な設計がされます(大規模建築など)。

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側方流動の概念図(超適当)。黄色が軟弱地盤(流動する)を示していて、赤矢印がグレーの杭にかかる横方向の力。

 また、地盤中の水が抜けて上に出るので、水浸しになるのも被害の一つでしょう。まるで浸水したようになります。写真を見るとインパクトが大きいです。

その液状化の原因は、軟弱地盤にある事は比較的認知されつつあるはずです。いわゆる沖積低地や、埋め立て地、干拓地など陸地(地盤)ができてから年月の浅いものは、土壌(地層)が固結しておらず、地震の振動で地層中の粒子間に働いているせん断応力が無くなり、液体に似た状態になるのです。逆に、長い年月が経っていて続成作用により固結した地層であれば、地層の粒子間の結合が強く、地震動ではびくともしないのです。関東平野に限れば、下末吉面などが硬い地盤として挙げられますが丘陵地帯や、外側の関東山地などはさらに古く堅固な岩盤になります。まとめると、古い地層ほど硬く丈夫で、陸地になって日が浅いほど緩く液状化が起こりやすいといえます。(ここの文章は東京の自然史(貝塚・1979→2011)を絡めていつか記事を書きたいです。)

 

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1936年の浦安。南東側は海なので写真データが無いが、遠浅の海が広がっていたと推測しています。

 丁度現在の舞浜に当たるあたりは旧江戸川が形成した何ともきれいな三角州が見られますが、それを南東方向に広げた土地が舞浜なんですね。現行の地名はいわゆる「イメージ地名」の代表格で、まるで明るい土地のようですが、地盤としては決して良くないでしょう。内陸側より多少標高が高くされているのが救いでしょうか。
ただ、昭和年間の地下水のくみ上げによる地盤沈下を考慮すると、元々陸地だった地域はかつては今よりも少なくとも1~2m位は高かったのではないか、と思っています。江東区江戸川区のあたりは浦安よりもさらに大きく沈下しています(沖積層の厚みの違い)。

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1945~50年頃の空中写真。こうして見ると南東側が海なので浦安が旧江戸川が作った砂嘴のように見えなくもない…?(表現・用語に自信が無い)

ちなみに沖積低地は地盤が緩く、人が住みかにするには向きませんが、保水性の良さから水稲栽培(田んぼ)には非常に相性がよく、昔の人は必ずと言っていいほど川沿いの自然堤防上に住み、後背湿地を田んぼにしていました。この場合田んぼが遊水地にもなるので、江戸時代には下流の下町における洪水の影響を抑えるために意図的に稲作地帯を整備した経緯もあります。
浦安もそうですが、細長い区割を見ると農地に見えるのは筆者だけではないはずです。特に近代化農業においては、細長い方が作業効率がいいのです。

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農作業用機械を動かす時に区割の長辺に沿わせて動かせば方向転換の回数に対して大きい面積で作業できる

いたずらに区割を大きくすると一反全体が失敗したときの損失が大きいので、効率化と保険を天秤に掛けると細長い方がいいことがわかります。

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実際に現在も田んぼとして利用されている土地(新潟県長岡市)。長めの長方形に区切られている

東京都内でも川沿いの低地ではこの区割が残っている所が結構あって、昔の空中写真では農地になっています。場所によっては用水路跡が残っていたりします。

 

こうして見ると、浦安は方や農地、方や漁場と東京(江戸)の食糧庫のような役目を担っている地域の一つだったと推測できます。実際に川(人工河川)で魚介を運搬していたようですし…

 

今回の記事は長さの記録を更新していますが、もし最後まで読み切った方がいらしたら、時間を割いていただいたことに感謝いたします。この記事(というかこのブログ)は書籍などから得た情報・知識から推測をしている内容なので、異議ありという方、ぜひコメントをください。筆者は理系、というか理屈人間なので、ガンガン議論をすることが大好きです。内容次第ではコメントを踏まえて記事を新たに立てるかもしれません。

地図子さんのブログを読んで 4 浦安〈前編〉

地図子さんのブログ

小田原・鎌倉の記事もありましたが、残念ながらあまりネタが無いのでいずれネタが見つかったときに。

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申し訳程度の江ノ電

地形を読む道具

ブログや本を読んで参考に地形を見るときにいつも使っているものをご紹介しなければなりません。
maps.gsi.go.jp
ずばり地理院地図。国土地理院が発行している5mメッシュ(一部10m?)の地図で、起伏を示した地図

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グラデーション付き起伏地図。拡大して見ることがほとんど
これ、無料です。カシミール3Dとか有料のものもありますが、自分はこれで十分だなと思っています。(←ケチ)
これでも標準の地図のレイヤがいじれるし、過去の空中写真も一部ですが重ねられるので、川なんかを見るのにも十分いいと思っています。

浦安のこと

さて、ようやく本題の浦安ですが、 まず浦安の埋め立てに関する話。
浦安市は市の陸地面積の2/3、約6~7割が人工的に埋め立てられた土地です。埋め立てられる前の土地、は東京湾の遠浅の海(潮干狩りの海岸がイメージとしていいと思います)と、江戸川の三角州でした。元々は優良な漁場で、海苔などの養殖場としてもよい場所だったはずです。
東京湾はもともと海苔などの養殖は日本一でした。江戸時代くらいですが。
参考文献
bookclub.kodansha.co.jp
(この本についてはまたいつか。)

それが江戸川沿いで工場が発展して、排水で汚染が見られるようになってから漁場としては衰退します。漁業権の放棄とほぼ同時に埋め立て(干拓)がはじまり、現在の形に近くなったと記憶しています。


浦安の約2/3が埋め立て地であり、その埋め立て時期の影響もあって地盤はあまりよくないことが2011年の震災の時に露呈してしまいました… そう、液状化現象です。液状化現象については次の記事でつらつらと書こうと思っています。


地図子さんのブログの 浦安 前編 で出てきた”段差道路”は、筆者もブラタモリをたまたま見ていて不思議な物があるんだなぁと思ったことを覚えています。この段差(高低差)を地理院地図で見てみましょう。

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起伏のみを表示 マニアックすぎる画面
マニアックすぎてわかりにくいので情報を追加します。
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解説編
赤丸が浦安市郷土博物館、その近くにある境川境川東水門が浜土堤の目印(と思っています)。
黄色い細線がその段差道路。道路基準で画像左が低く、右が高くなっています。キャプチャ画像の左下にも表示されていますが、地理院地図では標高データが表示されて、左が0~2mに対して右は2~4mとなっています。
実は、高い方が新しい土地なのです。知っている人には当たり前ですが、近現代の埋め立て地は防潮堤などの役割も担っていて既存の土地より高い傾向があります。昔の空中写真を見るとどちらが古い土地かわかりますが、それは次回に。

ちなみに画像中心から右側が青緑なのに対して左上あたりが青くなっているのは、かの0m地帯です(南葛西とあるあたり)。地盤沈下とか関東造盆地運動とか貝塚先生の本を追っていつか記事をつらつら書けたらと思っています。

筆者はこんな感じで現地に行くこともなく、他人の記事を読んで金をかけずに地図を見ながらいろいろ妄想しています。今のところ現地に行く元気も時間もなく、ただのひきこもりに見えますが、普段は仕事で毎日外に出るので休みはゴロゴロしたいのです。地図子さんを見習いたい…

次回は1936年とか45年あたりの空中写真も交えて浦安についての記事を締めたい…!(液状化の記事をどう混ぜようか?)

地図子さんのブログを読んで 3 スキー好き!

スキーが好きです。

くどいですが、スキーが好きです。地図子さんの”スキー”旅行はスキーだったのでしょうか?それとも…スノボ?

スノボ・スキー論争で筆者が上げる争点の一つは姿勢です。横向きでどうやってスピードを出すのだ。
筆者はスピード狂・スピード馬鹿なので(スキーだけでなく自転車も)、スキー>>スノボなのです。競技スキーになると滑降(downhill)では130km/h位出ますが、スノボでは無理でしょう。。
あと、スキーとスノボでは止まりやすさが違うはず。板の長さもそうですが、1本と2本なので、エッジの量が違います。単純に2倍のブレーキ!とはいかなくともかなり違うはずです。

スキーとスノボの下り方にかなり違いがあるので、これも悩ましいです。
筆者の友人はスノボを「動くゲート」呼ばわりして面白かったw

そうそう、競技スキーと言えば、大回転だといまいちですが GS、Giant Slalom というと恰好よくないですか!?

 

スキーの魅力は滑る事もそうですが、景色もそうですね。地形を見ようとするとき往々にして人工物が邪魔に思えますが、雪などで覆われると余計な物が無くなって見やすくなる気がします。これは地図でも同じでした。いつかその記事を書きます!

 

山寺のこと

地図子さん…冬の山寺によく登りましたね… つまるところ雪山だと思うのですが。

その大胆さに脱帽です。雪まみれの階段は慣れるものではないし、普通の人は苦労が過ぎるでしょう。

 

郵便ポストがありましたが、あれは配達の人ではなく取集の人なんですね~。休日以外毎日1回山形中央局から来るんです…大変そう。 ちゃんと名前が付いていて、「山寺立石寺中性院」だそうです。郵便差出箱14号。

えーとあれだ、富士山5合目と同じです。たぶん。ユニバーサルサービス()ですからね。

配達と集荷・取集は別の人のことが多いです。特に日本の郵便配達はバイクですから。集荷は量が多かったときに積みきれなくなってしまいます。山形がどうかは詳しくないですが。

 

地図子さん、今度は雪の無いときに行ってみましょうね。

筆者は行ったことが無いのですごく興味があります!
高校の古典で昔は「りゅうしゃくじ」と呼んだことをまだ覚えています。そう、松尾芭蕉の俳句の時でした。 個人的にあのセミはヒグラシだとしっくりくるなぁと思っています。